お米が日本にあったのではありません。
お米つまり稲は、今から2200から2300年前(縄文時代後期)に
伝えられたといわれています。そして弥生時代になると大きく広がりました。
「日本書紀」は、人の食べ物として五穀をあげ、
お米=イネは水田種子(タナツモノ)、
クリ、ヒエ、ムギ、マメは陸田種子(ハタツモノ)として伝えています。
お米を粉にして使う、つまり
米粉の利用は奈良時代に始まったと言われています。
遣唐使により唐の文物が伝えられましたが、
その中に小麦粉や米粉で型をつくって油で揚げた煎餅などの
唐菓子があったのだそうです。
穀物を加工した日本の菓子の始まりはここにありました。
さらに、宗元(中国)へ留学した僧侶の持ち帰った点心より菓子が生まれました。
お米などの穀物の粉から作るお菓子は
一般庶民の生活の知恵に吸収消化され、
江戸時代に茶道の発展とともに
日本独自の和菓子の完成を見るに至ったといわれています。
お米の粉を使ったお菓子はさらにそれ以降も発展を続け、
江戸時代以降神社、仏閣の神饌、供饌菓子などにもなりました。
公家や大名などの御用菓子や茶の湯と共に美を追究した和菓子が地方に広がりました。
さらにその土地の気候風土で育った産物を
生活の中へ取り入れた菓子が発達したといわれています。
米をはじめとする穀物の粉がその主原料でした。
穀物を粉末とすることにより、粒食ではできない食の豊かさが生み出されてきました。
お米などの硬い粒を粉にするのに、当初は挽き臼を使い人力で粉を作っていましたが
水車などが使われるようになり、多くの米粉を作ることができるようになりました。
搗き臼による搗精技術が発達することとなったのです。
米穀粉は庶民にまで広がり、明治以降には機械化され、
より良質な米穀粉となりました。
現在ではさらに技術もよくなり、小さな粒の米粉が作られるようになったのです。
そこへ農業や食の問題、価格の問題が一挙に噴出してきた昨今。
お米が見直されるとともに、米粉をもっと活用しよう!とする動きも
活発になっているのですね。
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